お昼に公園で見つけたので、一枚パチリ。

ツユクサの花

▲さぁこれはなんでしょう。

ツユクサの花

▲正解は、小さい子でもよく知っているツユクサ・・・の「昼の姿」でした!

ツユクサは早朝に咲き、昼にはしぼんでしまう儚い一日花。いまは忙しいから後で見ようなんて思っていると、いつの間にかこんな姿になっているので意外にちゃんと見る機会が少ない植物だと思います。

そういう植物にかぎって、よく見ると面白いんですよね。

ツユクサの花

▲ツユクサを横から。(朝8時の様子)

さて、この写真の中で、どれが「雄しべ」でどれが「雌しべ」でしょうか?

と聞かれたら、答えるのがなかなか難しいと思います。

ツユクサの花

▲というのも、花をのぞくとなんだか色々な形をしたものがたくさん付いているからです。

ツユクサの花

▲まずは花の先の部分から。真ん中にある先端だけピンク色のものが「雌しべ」。

そして、その両側の花粉がついた葯がついている部分が「雄しべ」。これは簡単。

ツユクサの花

▲難しいのがこれ。これは一体なんだ。

ツユクサの花

▲正面から見てみると、Ⅹ字あるいはπ字の形をしている。

ツユクサの花

▲π字形の脇のところに、ちょっと色が濃いオレンジの小さな塊。調べてみるところ、これが花粉なのだとか。

ということは、この変ちくりんな形をした部分も「雄しべ」ということ。

ただし、この部分は「雄しべ」と言って、この小さな花粉には交配能力が無いのだそうです。

交配能力がない(そもそも花粉も少ない)ので「仮雄しべ」。

ツユクサの花

▲もう一度先ほどの写真。X(π)字形の仮雄しべの下に、今度はY字形のもの。

これも花粉が出ているので、どうやら「雄しべ」のよう。調べてみると、これには交配能力があるらしい。

それでは、順に並べてみます。

ツユクサの花

▲先端には、交配能力のある「雄しべ」が2つ。そして、その真ん中に「雌しべ」が1つ。

ツユクサの花

▲真ん中には、交配能力が無いけれど目立つ「仮雄しべ」が3つ。

ツユクサの花

▲仮雄しべの手前に、交配能力のあるY字形の「雄しべ」が1つ。

ツユクサの花

▲ということでツユクサの花には、雄しべが6本と、雌しべが1本ついているということが分かりました。

こうして改めて真正面から見てみると、交配能力の無い「仮雄しべ」ばかりが目立つと思いませんか?

何でだろ。交配能力のある雄しべが活躍しないとマズイんじゃないのかツユクサ。

・・・なんて思った僕が浅はかでした。なんとなんと、これこそがツユクサの作戦なのだとか。

植物にとって、花粉を作ることはとてもエネルギーを使うこと。人と一緒で、出来ることなら省エネしたい。

花の中心にある雄しべ3つの花粉を節約する代わりに、大きく目立つ姿に形を変えて「ここに花粉ありますよー!(本当はないけど)」と虫にアピール。

X字に引き寄せられた虫がツユクサの花に近寄ってきた際に、交配能力のある他の目立たない雄しべに気付かないうちに触れる。

そして知らぬ間に他の花へと花粉を運び、受粉の手伝いをさせるというのがツユクサの戦法。(違う花と受粉を行うことを「他家受粉」といいます)

むむむ。あなどれませんねぇ、ツユクサは。

なぁんてとこでは終わらないこの話。まだもう少し続きます。

可愛いらしい見た目と違ってなかなかに計算高いツユクサは、朝と昼で違う顔を見せます。

ツユクサの花

▲昼前の様子。朝となにが違うでしょうか。

ツユクサの花

▲横からみたところ。

見て分かるとおり、朝には真っ直ぐに伸びていた2本の「雄しべ」と「雌しべ」がくるくるっと根本に向かって丸まっています。

ツユクサの花

▲アップ。

ツユクサの花

▲さらにアップ。 真ん中の雌しべの柱頭に、花粉が付いているのが見えるでしょうか。

この写真だけで分かった方もいると思いますが、ツユクサは昼になると雄しべと雌しべをくるくる丸めて、自分の花粉を自分の柱頭にくっつけて受粉をするのだそうです(自家受粉といいます)。

つまり、ツユクサは2種類の受粉の手段を有することで、受粉成功率を高めているのだと考えられています。

虫による受粉が成功しなければ、自分で受粉しちゃうぞ。と。

なんとまぁ、よく出来ていること!

と感心してしまいますが、よく考えてみればそれもそのはず。ツユクサの花の命は早朝~昼までのほんの一時。

この間に受粉を成功させないといけないので、こうして様々な工夫を凝らして備えているんですね。

ちなみに、万葉集にはツユクサのことを詠んだ歌が何首か出てきて、その儚い命を自身になぞらえて詠っているものが多くあります。

朝(あした)咲き 夕(ゆうべ)は消える 月草の 消ぬべき恋も 我れはするかも 作者未詳

→「月草」は「ツユクサ」のことなので、「朝に咲き、夕べにはしぼんでしまうツユクサのように、消えてしまいそうな恋を私もするのでしょうか」のような意味。

月草の 惜れる命にある人を いかに知りてか 後も逢はむと言ふ 作者未詳

→「ツユクサのように儚い命の私なのに、どうして後で逢おうなんて言うのでしょうか」

万葉の時代の人が、ツユクサの花の作りや受粉方法まで知っていたかは分かりませんが、この花が早朝に咲き、一日のうちにしぼんでしまうことは知っていたみたい。

そして、それを自身の淡い恋心にのせて詠いたくなるほど身近に感じていたのだなぁと思うと、なんだか今と昔が繋がって不思議な気持ちになります。

自分の気持ちを植物に託す豊かな感性は、今に生きるわたし達も見習いたいところだなと思います。


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