この一つ前のブログで私的な事を書いてしまいましたが、気を取り直して植物の話を。これからも楽しく植物を見ていきたいと思っています。
さて、前回さらっとヒオウギの実の写真を出しました。
▲この写真です。
「ヒオウギの実」と聞いて、「あっ、ヌバタマでしょ?」とすぐに連想できる方が多い世界に、私は今まで所属しておりました。
ところが、あたりを見渡してみると、世間一般では「ヒオウギ」も「ヌバタマ」もそんなに馴染みのある植物ではないと思うんです。残念ながら。
▲ヒオウギの花。これは大体7月~8月頃に咲きます。
その美しさゆえ、園芸植物として庭で育てている人も多いようです。
▲名前の由来は葉っぱ。檜扇という、ヒノキを使った扇子に形が似ていることから。
とっても綺麗な花なので、もう少し知名度が上がってもいいのにな。と思う植物の一つですが、ひねくれ者の僕が今回ご紹介するのは花ではなく「実」です。
▲それがこれ。
どうでしょうか。美しいと思いませんか。不思議と引き込まれるものがありますよね。
なんて、同級生に話そうもんなら、すぐに変わりもの扱いを受けてしまいそうですが、このヒオウギの実は万葉集では「ぬばたま」と表現され、枕詞として多くの歌に登場するのだといいます。(この植物に何か惹かれるものを感じてしまうのは僕だけではないということです。)
なぜヒオウギの実のことを「ぬばたま」と言うのかについては諸説あるようなので今回触れませんが、枕詞として「ぬばたま」は「夜」や「黒」といった言葉にかかります。
要するに万葉の時代の人々は、ヒオウギの実を見て、暗闇や黒髪といったものを形容しようと思ったというわけです。
こういうのを良いなぁと僕は思うんですよね。「鉛筆の芯のような黒」だといまいちだけど、「ヒオウギの実のような黒」というと何だかこう風流じゃないですか。
そして、本当に植物が身近な存在だったのだなぁと改めて思うんですね。
せっかくなので、何首かご紹介。
ぬばたまの 夜渡る月の さやけくは よく見てましを 君が姿を
(暗い夜に渡る月が明るく輝いていたら、 あの人の姿をよく見ることができたのに)
ぬばたまの 夜霧の立ちて おほほしく 照れる月夜の 見れば悲しさ
(暗い夜霧がたちこめて、おぼろげな月を見ると物悲しくなるものだ)
自らの感情や身近な現象を、近くの植物を用いて表現していた万葉の時代の方々。いまから思うと羨ましく感じてしまいます。
共通言語として植物があった時代に、現代ももう少し近づけたらなぁ。