アマゾンの森林火災のニュースにすっかり心が重たくなってしまったので、久しぶりにレイチェル・カーソンの「センス・オブ・ワンダー」を読み返しました。
その瑞々しい文章に、あぁそうそう、世界は本来とても美しく不思議にあふれていて…。この地球に生まれたことはなんと幸運なことなのだろう! と、嬉しい気持ちが心を中和していくことを感じながら、改めて落ち着いて考えてみました。
隣でスヤスヤ寝ている生後5か月の娘に、いま地球で起きていることを今後どのように説明したらいいのだろうか。と。
現在進行形で進む大きな問題を直視すると、大人でも精神的ダメージを負ってしまうもの。自分ひとりの力に対して、突きつけられる事実があまりにも大きく、わが身の無力さに胸がしめつけられ、出来れば知りたくないなぁと目を背けたくなってしまいます。
そんな問題を、娘にどう伝えるべきか。そう思い、次に手にとったのがこの本。
「足もとの自然から始めよう」子どもを自然嫌いにしたくない親と教師のために
デイヴィト・ソベル著/岸由二訳
これは、アメリカにおける環境教育実践の中心的人物であるデイヴィト・ソベルの著作。なにかお勧めの本は? と聞かれたら絶対にこれを上げるというくらい私が何度も繰り返し読んでいるものです。
ソベルがいうことは非常に明快。なかでも私が特に気にいっているのが『4年生まで悲劇はなし』という言葉です。
たとえば、現在行われている教育について、ソベルはこう書いています。
環境教育に対する熱意、それ自体は確かに妥当な、賞賛すべきものだろう。人類が希少な資源に群がっているという問題に子どもたちが気付けば、子ども達は熱帯雨林保護への寄付つきの「熱帯雨林クッキー」を買ったり、将来、選挙で環境問題重視の立候補者に投票したり、(中略)地球を救う助けをするようになるだろう。しかし、私が危惧しているのは、それとは正反対のことが起きているのではないか、ということだ。皮肉なことに、子どもたちに地球環境問題について関心と責任感をもたせようとする我々大人たちの熱意は、子どもたちをこの大地から引きはがしてしまっているのではないか。(p.6)
どうでしょうか。なんとなく思いあたる節がありませんか。
社会問題全般に言えることですが、私たち、あるいは子どもたちの世代はその「知識」だけをみれば、以前の世代とは比べ物にならないほど様々なことを知るようになりました。あるいは、いま現在知らなくても、知ろうと思いさえすれば、すぐに必要な情報にアクセスできる環境を得ています。
しかし、いまの社会の仕組みは何かがおかしいのではないか、そう皆がうすうす気が付いている時代でありながら、それに対して正面から向き合おうとする者は稀である。というのが現代です。
それに対して、ソベルはこう分析します。これが本当に明快。
もし教室が地球環境破壊の話題で埋め尽くされていたら、子どもたちはそうした問題から距離をとろうとすることだろう。肉体的・性的な幼児虐待に対する反応と同様で、苦痛から逃れるため、そこから距離をとる技術や手段を身に付けてしまうのだ。(中略)自然界が虐待される様を目の当たりにさせられて、子どもたちはかかわりをもちたくないと思うようになっている。(p.8-9)
はじめてこの本を読んだとき、自分自身が抱えていた問題をはっきりと理解することができました。バブルがはじける頃に幼少期を過ごした世代の私は、物心ついた時から暗いニュースに囲まれていて、学校で環境問題に対する啓発ポスターを書いたりする様な教育を受けてきました。生まれた時にはすでに山積みとなっていた様々な問題を、自分たちの世代の問題として解決しなければならない責務を負わされていることを知り、なんとも複雑な気持ちになったことを覚えています。(もちろん当時はあくまで感覚的にですが)
暗いテーマに触れ続けた結果、意識的にも無意識的にもソベルが言うところの「苦痛」から目を背けるように育っていってしまうことは自明なことであるように思います。
そして、ここからが本書の面白いところ。
ソベルは続いて『しかるべき成長過程を尊重する』ことの大事さを説いていきます。これは本書の肝の部分なので、その詳細は是非本書を手に取っていただきたく思います。ここでは少しだけ下記に要約をしてご紹介します。
・子どもたちは、その成長過程において、自分と周辺(自然)環境の捉え方を3つのパターンで変えていく。
・4歳~7歳までは、家と庭がその地図の中心であり、手で触れ耳で聞こえる範囲のものを非常に大事にする。
・8歳~11歳にかけては、家の外へと探検できるところまでその世界の地図が拡がるが、まだ具体的に表現できる範囲内におさまっている。
・12歳~15歳になると、その地図はますます範囲を広げ、次第に抽象的なものになっていく。
この理解でいくと、日本から遠い場所で起きている問題のことを写真や映像で見せた時に、その成長過程によっては、その問題が自分の家のすぐ隣で発生しているかのように思ってしまう可能性があるということです。
アマゾンの森林が燃える映像を見せて、これが自分の家の裏で起きていることなのではないかと思ってしまったら、こちらの意図とはまるで違う伝わり方をしてしまうことになります。こどもにとっては怖くてたまらないですよね。
地球規模の話は、こどもが有する地図が抽象的な範囲にまで及ぶようになった時から伝えるべきで、そこまでの間にはもっと重視すべきことがあるだろう、というわけです。
そして、それがなにかというと、この書籍のタイトルである『足元の自然からはじめよう』なんです。
ここからは、センス・オブ・ワンダーと通ずる話になります。都会的な環境であれ半自然環境、あるいは手つかずのウィルダネスでも同様に、まずは大地とつながる体験を得ること。
世界はそもそも美しく、不思議に満ちた素晴らしい場所であること。ここは生きるに値する場所であること。そうしたことを小さなうちに出来るだけ積ませてあげることが、親の大事な役割なのかもなぁと本を読み返しながら改めて思いました。
余分なことを書くようですが、環境問題に限らず日本の社会活動がある一定の所までは盛り上がるのに、そこからもう一歩進むことが出来ない原因は、まさにここにあるのではないかと私は思っています。
ソベルの『4年生まで悲劇はなし』という言葉の意味、考え方は、日本でももっと広まってほしいなと思っています。社会課題に関心のある方だけでなく、子どもを持つ親世代や、子どもと触れ合うことのある全ての大人の方に読んでもらいたい書籍なので、未読のかた、この機会に是非ご一読ください。
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ちなみに、私のこの「まちの植物はともだち」という小さな取り組みは、この書籍に多大な影響を受けています。
たまに真面目くさって「これは自分なりの平和活動です」と、自分の観察会を紹介することがありますが、それはそっくりそのままソベルが言うことを体現しようと思っているからに他なりません。
デイヴィド・ソベルの書籍で和訳されているものは、じつはわずかこの一冊のみ。もっと注目を浴び、ほかの書籍も日本人が読むことが出来るようになればいいなぁと思っています。