ここ10年ゲーム機を触った記憶がなく、ネットゲームにいたっては人生で一度もプレイしたことがない。そんな僕でも、昨年話題になった「ポケモンGO」だけは発表当日にダウンロードして1週間ほどやりこんだ。

自分自身が初代ポケモン世代だったので珍しく気持ちが動いたというのが理由のひとつではあったけれど、「AR技術を体験してみたかった」というのが本当のところの動機。

少しよそ見している間に世の中は大きく変わっていて、ゲームボーイでポケモンを遊んでいた時には想像できなかった世界がいま存在している。進む架空と現実の世界の融合。その境は最近ますます曖昧になってきている。

たとえば、自然の音を再現することが出来るアプリがあるらしい。

これを使うと、雨が降る音や川のせせらぎ、鳥の鳴き声などを自分好みにブレンドして理想の音環境を作りだすことができるそうな。

なるほど、これがあれば家にいながらキャンプの夜を疑似再現することができる。さらに技術が進めば、土の匂いや夜の気温、吹く風までも自分好みに再現できるようになるかもしれない。天井に投影すれば満点の星空だって見えるかも。

「それが本当の自然なのか?」という批判が当然起き得ると思うが、「もし、それが実際のキャンプの夜よりも心地よかったらどうしよう」と僕は思う。

おそらく、実際にキャンプをしている時に、前述の自然の音を再現するアプリを使う人が出てくるだろう。星空検索アプリを見ながら夜空を見上げ、雲っていたらテントの屋根に星空を投影するかもしれない。

地図アプリに誘導されながら山を歩き、植物検索アプリを使って花を見て、鳥が見たくなったらAR技術で画面上に鳥を存在させる。

良し悪しを書きたいわけではなく、デバイスと一体型の体験が広まっていくことは間違いないし、言うまでなくすでに急速に広まっている。かく言う自分も、「いま見えている山の名前を知るアプリ」なんてものをダウンロードしたばっかりだ。

問題は、それが実際の体験よりも優れていたらどうする?ということで、さらに時代が進んで「実体験の伴わない疑似体験の時代」が来るとしたらどうする?ということだ。

それを考えたくて、「ポケモンGO」をダウンロードして遊んでみた。通勤路で画面とにらめっこしながら、ドードーをたくさん掴まえた。懐かしかったし、見慣れた道にポケモンが現れるのは素直に面白いと感じた。そして、未来はこの方向だと見せつけられたような気がして、少し面食らってしまった。

なにせ僕はと言えば、普段ポケモンGOではなく、通勤路で植物を見ているような人間なのだから。

今日はヤマボウシの木を見つけたので、花をじっくり観察してみた。

ヤマボウシの花

驚きの形だと思う。道端でピカチュウが現れたときのように興奮する。

ヤマボウシの花

ちなみに花の全形はこんな感じ。

1センチほどの物体を覗きこんで喜んでいるのだから、なんと僕のスケールの小さいことよ。と思う。なにせ今やグーグルマップを使えば、世界の裏側の川の流れ方まで分かってしまう時代なのだから。

続いて、ドクダミの花が咲き始めたので花の細部を覗いてみる。

ドクダミの花

ドクダミの花は、縦に長い花がついているように見えて、じつは小さい花がたくさん集まって出来ている。雄しべと雌しべだけがあって花弁はない。

凄い、なんでこうなっているんだろう。フシギダネみたいに不思議だなと思う。

ドクダミの花

みんな知っていると思うけど、これが全形。

とまぁ、こういうことをして一人道端で楽しんでいるわけだけど、ふと我に帰って考える。

「あれ、でもこれって既に知っていたことだよな。」と。

植物については、典型的な門前の小僧である僕。ほとんどの知識は諸先輩方に教わったことか、本や図鑑を読んで知ったことばかり。

ヤマボウシの花の形もドクダミの花の作りも、じつは覗き込む前から答えを知っている。分かっているのに覗き込んでみたくなる。

この感覚ってなんなんだろう。

自分の目で実際に確かめた時の心の動き。理屈じゃない部分で受ける感動。それが原動力になって、もっと見てみたい、もっと知りたいと思う。

そして、なんでだろう、どうしてだろうと思っているうちに、自分なりの発見をしたりする。

ハルジオン

▲ハルジオンはつぼみの時は下を向いている(左)けど、花が開くときには上を向いている!(右)という今年の大発見。

こんな些細なことでも、自分ではじめて知ったときは凄く嬉しい気持ちになる。こういう感情は、これから技術がさらに進んでも残るものなのかな。

自分の目で確かめるという、ささやかな喜び。これはどうなっているんんだろうという好奇心。こういう心の動きはこれからも残っていてほしいなと思う。


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