暖かくなったなと思ったら今日みたいにまた寒さが戻ってきたりして、果たして本当に春は来ているのだろうかと少し惑う季節。
▲植物はこうして迷うことなく春の訪れを感じとっています。
▲今日の植物は、言わずとしれたジンチョウゲ。
自転車で走っていても気が付くほどの甘い香り。ふわっと漂う春の気配です。
▲つぼみはえんじ色で、ちょっとシワシワ。
「言わずとしれた」と普通に書きましたが、これはあくまで「いまの自分にとっては」という意味。
というのも、ぼくが植物を見始めたのは大学生になってからのことで、高校生の時はジンチョウゲの花がどういうものなのかなんて全くもって知らなかったからです。
その時は、多分この香りにだって気が付いていなかっただろうな。
▲いまでは大好き、ジンチョウゲ。
一昨日ホトケノザの話を書きながら思っていたことで、植物ガイドの自分がこう言っちゃ元も子もないのですが、植物を知っているということは、現代において実生活にほとんど役に立たないんですよね。
「ホトケノザの花粉はオレンジ色」。なんて知っていたところで、ねぇ。
だけどそれでも僕は植物を知っている人生をお勧めしたいんです。
▲多分それは、植物の「確かさ」に自分自身が何度も安心させられているから。
人生は本当に悩みや迷いだらけ。
三寒四温を繰り返すように、自分の人生も進んでいるのか戻っているのかたまにふと不安になったりもしますが
▲そんなときに勇気をくれるのが植物。揺れ動く外的環境にたじろがず、自分で時期を見極めてしっかりと咲き誇っています。
植物のそんな姿を見ていると、あぁこれでいいんだなという風に思うんです。
…と謎の感傷モードに入っていますが(僕、なぜか春になるといつもちょっとおセンチな気持ちになります。秋じゃなくて)、もう一つ植物を知っていてよかったなと思うことがあります。
それは、ジンチョウゲのように見た人が色々なことを感じる植物は小説や歌の中によく出てくること。ジンチョウゲなんてほんと頻出。テストに出るレベルです。
たとえば、真っ先に思い浮かぶのはゆーみんの「春よ、来い」。
淡き光立つにわか雨 愛し面影のジンチョウゲ
溢るる涙のつぼみから ひとつひとつ香りはじめる
あらためて真正面からこの歌詞を読み返すと、ため息が出るほど素晴らしい歌詞だなぁと思うわけなんですが、たぶんこういうのはジンチョウゲ自体を知っているかどうかでその味わいが大きく変わると思うんですよね。
▲どうですか。涙のような淡い香りとともに春がやってくる情景が目に浮かんではきませんか。
春よ 遠き春よ 瞼閉じればそこに
愛をくれし君の なつかしき声がする
そして香りは様々な思いを運び、過去を紐解いていくんですね。
▲なんだか泣けてきましたよ。ジンチョウゲさん。
こんな感じで実益にはならなずとも、知っているとたまに凄く感動したりすることがあるんですよね、植物は。
豊かさって何だろう。のヒントをくれる植物のこと。これかも少しづつ紹介していきたいと思います。
今日はうんちくありませんでした。
\まちの植物はともだち 開催スケジュール/
少しづつ観察会の機会をいただくようになりました。
下記、現在募集中の観察会の予定ですのでご興味のある方ぜひどうぞご参加ください。
2018.04.08
【まちの植物はともだち@浦和 -春の芽吹き編-】
詳細:https://www.facebook.com/events/150137295680213/
*初心者向け、どちらかというと大人対象。
2018.04.14
【まちの植物はともだち@谷保 -春の芽吹きを探しにいこう!-】
詳細:https://www.facebook.com/events/1638274196266204/
*初心者向け、どちらかというと大人対象。
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watashinoniwa
ズタズタに切られて咲かなかったジンチョウゲ、今年は蕾を付けてるかもしれない。明日見てみようと思う。